映画監督安藤桃子の連載エッセイ「芽花立ち」vol.3


映画監督。1982年生まれ。監督・脚本作品『カケラ』でデビュー。
著書に長編小説『0.5ミリ』(幻冬舎)。同作を映画化し、2014年全国公開。
国内外で数多くの賞を獲得した。現在、高知に移住。一児の母。

 人が「極楽、極楽」と思わず呟くのはどんな時? 古代ギリシャ神話、トルコ、王宮の金ピカ猫足風呂と、世界中で愛されてきた風呂。しかし、我々のように現代でここまで風呂を重要視する民族は他にいるだろうか。風呂無しアパートの、キッチンのシンクで無理矢理沐浴をする女性の話も聞いた事があるくらい、風呂を愛してやまないのが日本人だ。産まれたばかりの赤ちゃんだって、沐浴するとピタリ泣き止み、数秒後には何とも気持ち良さそうな極楽顔でプカプカ。人はお腹に居る時から水に育てられ、生かされている。

 思い返せば、イギリス留学時の風呂問題はキツかった。バスタブに浸かる習慣の無いイギリスでは、シャワーだけの家も多い。ホテルも確認しなければシャワーのみの部屋も少なくない。しかも、ほとんどの家や施設の給湯はタンク式なので、すぐに湯が足りなくなる。真冬にホテルでシャワーを浴びていたら、シャンプーを洗い流している途中でお湯が切れ、ブルブル震えながら洗面台の水で全身を洗い流した事も。逆にバスタブしかなく、浅いバスタブに寝転がり、蛇口のお湯で洗髪したり(これまたぬるま湯しか出なかった!)と、日々「どうかお湯が出ますように」と手を合わせ、覚悟を決めて風呂に挑む、正に水行状態だった。

 古来から日本人は温泉に浸かる事で、心身共に癒し、病気までも治癒してきた。温泉というと成分を重視しがちだが、要は生きた水に浸かるという事が要(かなめ)なのではないだろうか。温泉でなくても、山の岩盤から湧き出るミネラル豊富な水を薪で沸かして入っている爺婆は、驚異的に元気だ。山で入る、ちょっと熱めの湯は、宇宙から注がれた未知の液体かの如く輝き、まろやかなとろみさえ感じる。人も地球も70%は水だという事を思い出す。毛穴の奥にまで吸い付いてくる水には、きっと何万年もの地層を通って辿り着いた、生命の情報が凝縮されているのだ。食べ物もしかり、採れたて、汲みたてに勝るものはなし、生きている水は腐らないとも言うではないか。

 最近お気に入りの温泉がある。映画「0.5ミリ」のラストシーンを撮影した、宇佐の海岸沿い、四国八十八カ所、三十六番札所、波切不動尊を御祀りする青龍寺のすぐ側にある温泉は、とんでもなくパワフルだ。空海の霊示によって掘られたという熱っつい湯は、舐めてみるとしょっぱいくらい塩分が強い。我が家の二歳児もこの温泉が好きで、身体を洗うとさっさと自ら湯船に浸かりに行き、一丁前に「ふ〜」と溜め息をつく。風呂上がりも必ず、りんご色の火照ったほっぺで「嗚呼、きもちよかった」と、一人言。風呂好きはDNAに組み込まれているとしか思えない。この湯に浸かると、体重が数キロ軽くなったんじゃないかと感じるくらい、スッキリ。子供の頃に海水浴ではしゃぎきった帰り、太陽の力強さと海のおおらかさのせいか、フワフワと浮かんでいるような心地よさになったことを思い出す温泉である。

 高知にはサーファーも多いのだが、波乗りをする人たちはいつ見ても美しい顔をしている。海、波は、人の背負った荷物を洗い流して、心身共に浄化してくれる。波乗りをする人々の魂のままの美しさに心底憧れる私だが、当面は宇佐の湯の恩恵にあずかっておこう。

 海で泳ぎ、そのまま川に飛び込んで塩を流し、最後は温泉に浸かるという山、川、海の三拍子揃った高知ならではの最高の遊び方を満喫しながら今年も思う。水のきれいなこの国の日常は最高に贅沢だ。