映画監督安藤桃子の連載エッセイ「芽花立ち」vol.3


映画監督。1982年生まれ。監督・脚本作品『カケラ』でデビュー。
著書に長編小説『0.5ミリ』(幻冬舎)。同作を映画化し、2014年全国公開。
国内外で数多くの賞を獲得した。現在、高知に移住。一児の母。

 「キスをするとき、目を閉じますか?」と聞いたら世界共通、大抵の人は目を閉じると答えるだろう。この目を閉じる時間が人特有の大切な行為、「想像する時」なのではないだろうか。そして目を閉じるということが、実は映画表現にとって重要な役割を果たしているのだ。

 一コマ一コマの画の間に黒が入るフィルム映写上映では、120分の内90分は物理的に暗闇を見ている事になる。私はこの目を閉じた状態、暗闇の部分が映画が人のこころを開き、魂に触れるのにひとつの重要な役割を果たしているように思えてならない。映画をフィルムで撮影する場合も、とても面白い事が起きている。フィルムに画を焼き付ける瞬間、カメラはシャッターを下ろす。シャッターが下りている瞬間は、ファインダーを覗いているカメラマンにレンズの向こうは見えていない。ということは、カメラマンの見た世界は、一秒たりとも映画に映っていないのである。なんてロマンチックなんだろう! 人は相手を想う時、その人の毛穴や産毛の詳細まで脳内で再現する訳ではない。自分の中にある相手の印象を元に心の中に描くものだ。見えない、見ない、ということこそがロマンティシズムなのだと思う。

 昨今、映画作品も制作本数はあれど、デジタル化の波を受けて劇場は激減。地方都市では大型ショッピングモールと一体化したシネマコンプレックスが異様な存在感を示し、単館系の劇場はバタバタと消えていった。今ではフィルム作品を見た事のない若者がほとんどというのが現状だ。

 映画監督としては、出口である映画館が消えていくのを黙って見ている訳にはいかないぞと、奮起。2017年10月7日に、高知市街中心地に期間限定の映画館、ウィークエンドキネマMがオープンする。ビルを購入した建設会社の社長が、ビルを取り壊すまでの一年間、廃ビルが街の中心にあるのは周辺商店街にとっても良くないからと、私の元に相談の電話があったのが6月の末。それならば映画館をやろうじゃないか!と引き受けてから、準備期間たったの3ヶ月というスケジュールの基にプロジェクトはスタートした。廃ビルを活用して造り上げたミニシアターには、元東映の劇場から譲り受けた市民の思い出が詰まった座席と、デジタルは勿論、35ミリ映写機も導入。音に関してはアルテックA7という機種のスピーカーを活かせる絶妙な音作りを、高知の音響レジェンドが丁寧に仕上げてくれた。一年間しかやらないからこそ、最後の日に胸が掻きむしられるほど、完璧な劇場を誕生させたい。この映画館が文化の基地となり、趣向をこらしたイベントを劇場周辺で企む。映画の街、パリの小道で、小さな映画祭が毎週末やっているようなイメージだ。

 芸術家はそもそも職人であり、映画は産業なのだ。文化と産業を分けてはいけない。映画は万人のものであり、体験。老若男女の魂を覚醒させたい。あの暗闇に映し出される光の先は、天国にも宇宙にも飛んで行ける無限のイマジンが広がっている。

 土佐の国から全国へ、果てには世界へと愛の振動が伝わり、波が起きることを願って。